思い出博物館|駄知小学校の同窓生のためのアルバム集です。
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 駄知小学校も創立約140年、あの時・この場所で駄知っ子だったみなさんの記念碑や写真、旧校舎の遺産などがたくさん駄知小学校の中に残されています。その中でも特に多く残されている場所が「思い出博物館」です。今まで一度も入ったことがない、そんな部屋あったかな?今の駄知っ子の中にも知らない子がいるかもしれません。
 「この前、子どもと一緒に中に入ったら、私の小さいときの写真があった(笑)」(先生)といってみえました。ひょっとすると自分の写真も・・・
 駄知小学校に伝わるたくさんの記録の中から少しですが紹介させていただきます。

旧校舎(通称)
 約40年前、平に建っていた旧校舎です。始まりはお寺の建物だったようです。

大正の卒業生
 明治から大正に時代が移った頃の写真です。

昭和の卒業生
 大正から昭和に時代が移った頃の写真です。

旧校舎の鬼瓦
 左の写真の三角屋根の上に飾られていました。

鼓笛パレード
 昭和40年代の鼓笛パレード。旧校舎時代からやっていたことが分かります。

旧校舎カラー
カラーで撮られた旧校舎の写真も残されていました。

創立100周年スタンプ

校舎を正面から撮った写真は学校にはありませんが、絵やスタンプなどで残っています。

移転祝賀
 後ろはライトアップされた新校舎。薪を組み町内をあげて祝っています。

新校舎(通称)
 移転当時の写真。学校から駄知の町が一望できます。今は木が育ち景色も変わりました。

交通公園
 現在幼稚園側の駐車場も昔は自転車教習場でした。免許がないと乗れなかったそうです。

中庭のブロンズ像
 昭和61年から平成18年度まで卒業生の集合写真を撮り続けてきました。


 ブロンズ像の下に刻まれた題名。題字にはノーベル賞を取られた江崎さんの字が使われています。

交通安全教室
 昔は交通安全教室の時には、町の中を鼓笛隊で行進していたそうです。

鼓笛パレード
 今でも鼓笛は駄知の伝統であり、6年生の憧れです。今年も5月から練習をしています。

平成の卒業生
 昭和から平成に時代が移った頃の写真です。

航空写真
 下にあるグランドが旧校舎跡、上にあるのが新校舎です。


★校歌について★

 駄知小学校移転二十周年に寄せて
校歌作曲者 花村 奨(はなむら すすむ)先生

 「有古の岡に 風清く
  ああなつかしい わが母校
  心をみがき よく学び
  駄知の子どもは 伸びてゆく」
 駄知小学校校歌一番である。昭和49年に移転して、現在は「旭ヶ丘に風清く」の出だしで歌っている。
 「ああなつかしい わが母校」以下には、花村先生のふるさとに対する想いと、駄知の子どもたちに対する願いが切々と詠まれている。子どもたちはこの校歌を歌っている間に、花村先生の願いを自分の願いへと同化させていく。
 花村先生は、大正十三年に駄知小学校を卒業された。小学校の頃から、詩を作っては雑誌に投稿する文学少年であった。大学卒業後五年余り下石小学校で教鞭をとられた。その間、小説「首途(かどで)」(直木賞候補)を書かれ、「美しき首途」として映画化、文部大臣賞を受賞した。これが世に認められ、宝文館に請われて上京、雑誌「令女界」「若草」を編集する傍ら、土岐愛作のペンネームで「雑誌夫人」などの小説を上梓された。
 戦時中、駄知に疎開し、済美・多治見両高女で再び教壇に立たれた。戦後は東京に帰り、「白鯨」「そろり新左衛門」「少年太閤記」「曽我兄弟」などの少年少女向きの作品を著された。駄知小の校歌はこの頃小栗三二一校長の依頼によって作詞された物である。この外、松本工業高校、東濃高校、土岐高校、多治見西高、土岐市立西陵中、下石小、肥田小の校歌を作っておられる。
 歴史小説では「青葉城」「豊臣秀吉」「柳生十兵衛」を盛光社の歴史小説シリーズで執筆されている。このシリーズは、他に山岡荘八、村上元三、山手樹一郎などそうそうたる執筆陣であった。
 花村先生は、平成四年十月、享年81歳でこの世を去られた。
 花村先生のふるさとへの想いは校歌として、いつまでも子どもたちに歌いつがれていくことであろう。
岐阜県土岐市立駄知小学校  〒509-5401 土岐市駄知町1858番地の1 TEL 0572-59-3148 FAX 0572-59-1776
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